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   <title>キヤマル | camal</title>
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   <updated>2007-05-06T02:07:49Z</updated>
   <subtitle>”キヤマル”は丸いこぶを載せたラクダ。ものごとが「極まる」ともかけてあります。
表記は Canon が「キヤノン」なの(※これは商品名の「観音カメラ」に由来するらしい)を真似ただけなんで、読みは「キャマル」でOKです。
私 sheng の日々の発見、思いついたアイデア、web、読書、デザインや創作・制作のことなどを書いているブログです。</subtitle>
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   <title>ひとは価格を買っている</title>
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   <published>2007-02-26T12:53:46Z</published>
   <updated>2007-05-06T02:07:49Z</updated>
   
   <summary>いらっしゃいませ。こちらはキヤマル・ハンバーガー店です。 ちょっと心理テストをしてみましょう。 ４種類のハンバーガーの中から、どれか好きなものをひとつ選んで買ってください。お金はだいじょうぶですか。価格はみんな違うのでお財布とよく相談してください。 え、ゴマが嫌い？　どうしてもダメなら、ゴマなしバンズに換えてもらえることにしましょう。チーズを抜いてくれって？　抜いてもらっても、値段は変りませんが、それでもよければどうぞ。 さて、どれにするか決まりましたか？...</summary>
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      <![CDATA[いらっしゃいませ。こちらはキヤマル・ハンバーガー店です。
ちょっと心理テストをしてみましょう。
<img src="http://www.camal.info/images/humburgers01.gif">
４種類のハンバーガーの中から、どれか好きなものをひとつ選んで買ってください。お金はだいじょうぶですか。価格はみんな違うのでお財布とよく相談してください。
え、ゴマが嫌い？　どうしてもダメなら、ゴマなしバンズに換えてもらえることにしましょう。チーズを抜いてくれって？　抜いてもらっても、値段は変りませんが、それでもよければどうぞ。

さて、どれにするか決まりましたか？]]>
      <![CDATA[ちょっと迷いましたか？　それとも、すぐ選べたでしょうか？
気になるのは、何が選ぶ基準になったかです。このテストをするとき、たまたまお腹が空いてなかったとか、所持金が少なかったとか、いろいろ左右される状況はあると思います。
食べられない食材があるとか、画がどれもまずそうだナーとかってのもありますね。ちょっと迷ったというひとは、何を迷ったのでしょうか。

では次のテストです。
<img src="http://www.camal.info/images/humburgers02.gif">
ハンバーガーの種類は変りませんが、今度は価格が違います。４種類どれを買ってもおなじです。これで迷う必要はないですね。どれでもおなじ値段ですから。
それではもう一回、選んでみてください。

…さっきと選択は変りましたか？　それとも同じものを買うことにしましたか？
チーズバーガーを買うと損ですよ。もともといちばん安かったんですから。チキンバーガーにする？　一番高級なトマトサンドだって同じ値段なのに！

お店のことは心配しないでください。机上の理論では一見損しないことになってるんです。
乱暴に計算して、低価格のものほど数が売れるとしましょう。
(140×4)＋(180×3)＋(200×2)＋(260×1)＝￥1760
10個売れたときの合計は￥1760です。￥190均一のときなら合計￥1900でしょ？　原価とかも考慮しなきゃいけないわけですが、まあ売り上げは大きく変らないんじゃないですか…


…と言いつつ、私は価格差がなくなったときのほうが選びにくくなったと思います。消費者心理ってこういうことなのでしょうか。価格が同じになったなら、「トマトサンド」を買わなきゃ損した気になりますもの。もし鶏肉が食べたいなあ、と思ってるならチキンを買うのが一番満足が得られるはずなんですが。キャンペーンとかでいまがオトクとか言われると、ついなびてしまいます。

でも、高いものが一時的に値下げされているならともかく、全品一律が常態だったとしたらどうでしょう。
価格で悩む要素がなくなったのだから、あとは好きなものを選べばいいわけです。ところが選びにくいんですな。そう考えると価格付けって言うのは、原価がどうこうって言うよりも、まず購入の意思決定を誘導するためにあるんです。
電気製品が上位と下位機種が揃って出されるのも、上位機種のスペックで「この商品いいなあ」と思わせて、でもちょっと高いよな、と感じたところへ、お手ごろな価格帯のもありますよ、下位機種を提案する。それによって相対的な安さを印象づけられます。
それもあまり価格差がありすぎてもよくないんです。下位機種でここまで払うなら、もうちょっと奮発すれば上位機種に手が届くなあ、と心理的ゆさぶりをかけるのが絶妙な価格設定です。
今日は奮発して高いのを買うぞ、とリッチな気分になったり、安いのを選んで節約できた、オトクだったと感じたり。「選ぶ楽しみ」と言うのもありますよね。いい買い物をしたとか、買い物上手とか。価格の上下、どちらでも「満足感」は与えられます。

ひとは「価格”で”買っている」んじゃなくて、「価格”を”買っている」のかもしれません。

[関連]「<a href="http://poets.blog12.fc2.com/blog-entry-89.html">もしドナルドが100人の群れだったら</a>」]]>
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   <title>時を昇る少女？</title>
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   <published>2007-02-24T18:37:26Z</published>
   <updated>2007-05-19T15:34:29Z</updated>
   
   <summary>数値のおよそをあらわすのに、日本語では「前後」（ex. ３時前後）と表現し、中国語では「左右」（ex. ３點左右）と言います。 前回の考察で拙かったのは、とりたてて時間をモデルにしてしまったことです。時間には「前後の方向性」が感覚的に生じているので、空間の把握に似てきます。英語でなら back / forward です。 しかし「前後（左右）」はあらゆる数値に汎用できる表現です。３人前後（３個左右的人）、５万円前後（５萬塊左右）。中国語でも、時間に関しては「前後（qian hou）」、その他の数量に関しては「上下（shang xia）」、と言う表現もありますが、日常的にはだいたい「左右」を使い...</summary>
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      数値のおよそをあらわすのに、日本語では「前後」（ex. ３時前後）と表現し、中国語では「左右」（ex. ３點左右）と言います。
前回の考察で拙かったのは、とりたてて時間をモデルにしてしまったことです。時間には「前後の方向性」が感覚的に生じているので、空間の把握に似てきます。英語でなら back / forward です。
しかし「前後（左右）」はあらゆる数値に汎用できる表現です。３人前後（３個左右的人）、５万円前後（５萬塊左右）。中国語でも、時間に関しては「前後（qian hou）」、その他の数量に関しては「上下（shang xia）」、と言う表現もありますが、日常的にはだいたい「左右」を使います。
      <![CDATA[「左右」の用法についておおまかに分類すると
　１、結果に影響を及ぼす
　（ex. 運命を左右する、景気を左右する）
　２、周囲、そば近く
　（ex. 左右のものに申し付ける）
　３、あいまいである、方向が定まらない
　（ex. 言を左右する、右往左往する）

これらは日・中語とも、ほぼおなじです（「右往左往」は中国語ではふつう使わないようです）。およその数値を「左右」と言うのは、（２）の「周囲」をあらわす表現になります。
<img src="http://www.camal.info/images/time2model.gif">
しかしちょっと不思議なのは「３點左右」と言った場合、「３時の右 / 左」、どちらが「過去 / 未来」に対応しているのかわからないことです。
「前後」ならわかりますよね？　「３時のあと」には「４時」が来ます。「３時のまえ」に「２時」を過ぎたのです。つまり「過去：前」、「未来：後」です。もっと正確には「その時点を以て前 / 後」＝「以前 / 以後」となります。

あれ、この図だとおかしいです。「３時」を通過している人の「前（前方）」に来るのが「４時」で、通り過ぎた「後ろ（後方）」に「２時」があります。感覚的に「未来」は「さき（先）」の方にあるわけです。
でも「先に起こること」と「後に起こること」では、「先（former）」の方が「過去」じゃないの？

ええぃ！「前後」でも「過去未来」が明確にわからないのだったら、「３時左右」でもいいんじゃまいか？
<img src="http://www.camal.info/images/up_down.gif">
じゃあ今度は「垂直モデル」を考えてみましょう。
「このビンには１リットル”前後”の水がある」、中国語では「這瓶裡有１公升”左右”的水」となります。
今度は「前後」も「左右」もありません。中国語だと「這瓶裡有１公升”上下”的水」と言ってもいいようですが、日本語で「このビンには１リットル”上下”の水がある」ではやや不自然です。
<img src="http://www.camal.info/images/upordown.gif" align="left">
そもそも「時間」の把握がなぜ「水平モデル」だったのでしょうか？
時間を垂直モデルにしてみます。さて、「過去 / 未来」は「上 / 下」どちらに対応するでしょうか？
「あぁ〜 川の流れのように〜 ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて〜」（c.秋本康）　のように「時の川」と考えるなら、「下（下流）」が「未来」です。時間は空間と違って、一方向しかありません（と言うか方向はない）から、自由落下していくようなものです。

いや、しかし「ここを登り切れば明日は日曜、おやすみだ！」と考えてるひとは、時を登る人 time climber ですよ！
そんなアナタに Life Hack 、そんなにがんばらなくってもいいんです。ほっといたって日曜日は来ますから！　自由落下しちゃいましょう。時の流れに身を任せ、あなたの色に染めらry

[参照]
sugar pot：<a href="http://bittersweetdreams.blog9.fc2.com/blog-entry-480.html">次はどこ？</a>
satolog：<a href="http://po3a.blogspot.com/2007/02/blog-post_4764.html">あたまにくる、あとにくる前者</a>]]>
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   <title>前後と左右</title>
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   <published>2007-02-21T16:27:36Z</published>
   <updated>2007-02-21T16:42:16Z</updated>
   
   <summary> 「およそ」の数字をあらわすときに、「前後」ということばを使いますよね。 「３時前後に待ち合わせ」とか「５万円前後の予算」、「あと１週間前後で完成」など、見積もった量に振り幅があることを表わしています。 この日本語の「前後」という表現に、そのまま相当する中国語は「左右」（zuo you）になります。 「３時前後」なら、「３點左右」です。 こんなふうに図にしてみると、「３時”前後”」じゃなくて「３時”左右”」のほうが適確なのかなあ、なんて気もしてきます。...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.camal.info/blog/">
      <![CDATA[<img src="http://www.camal.info/images/right_left.gif" />
「およそ」の数字をあらわすときに、「前後」ということばを使いますよね。
「３時前後に待ち合わせ」とか「５万円前後の予算」、「あと１週間前後で完成」など、見積もった量に振り幅があることを表わしています。

この日本語の「前後」という表現に、そのまま相当する中国語は「左右」（zuo you）になります。
「３時前後」なら、「３點左右」です。
こんなふうに図にしてみると、「３時”前後”」じゃなくて「３時”左右”」のほうが適確なのかなあ、なんて気もしてきます。]]>
      <![CDATA[<img src="http://www.camal.info/images/for_back.gif" align="left" />では、こういう図にしてみたらどうですか。そう、こちらのイメージは「前後モデル」です。
こうみると、「左右」という表現は、自分は外側からものごと眺める位置にいるような視点です。一方、「前後」は主観的といえばいいのか、自分がその尺度の内側にいるような感じです。
もちろん、これはただの表現なので、言語がその人の精神構造や思考法をあらわしているわけではないでしょう。
それでもこうやって言い回しを視覚化してみると、意外な発見があったように思います。]]>
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   <title>君の瞳にコピーしてる</title>
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   <published>2007-01-21T06:53:58Z</published>
   <updated>2007-05-06T02:08:15Z</updated>
   
   <summary>著作権の話がしたいんじゃないんだけど、このたぐいの論議がフクザツになっているのは、同床異夢というか、違うものを見つつ「著作権」と言うひとつの言葉を使っているせいじゃないかと感じる。著作権の話は本題のマクラでしかないですけど。 １）すでに製品として流通しているものをコピーし販売、利益を得る ：ＣＤ、コンピュータソフト、ブランドバッグなど、いわゆる海賊版 ２）商品として流通していない（経済市場にのってない）、芸術作品をふくむ制作物を、無断使用・改変し（あるいは自作と偽り）、あるいは商品化する。 これ大雑把に「人格権」と「財産権」の問題になるかなと思うんですが、このエントリの本旨じゃないのでこのへん...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.camal.info/blog/">
      <![CDATA[著作権の話がしたいんじゃないんだけど、このたぐいの論議がフクザツになっているのは、同床異夢というか、違うものを見つつ「著作権」と言うひとつの言葉を使っているせいじゃないかと感じる。著作権の話は本題のマクラでしかないですけど。

１）すでに製品として流通しているものをコピーし販売、利益を得る
：ＣＤ、コンピュータソフト、ブランドバッグなど、いわゆる海賊版

２）商品として流通していない（経済市場にのってない）、芸術作品をふくむ制作物を、無断使用・改変し（あるいは自作と偽り）、あるいは商品化する。

これ大雑把に「人格権」と「財産権」の問題になるかなと思うんですが、このエントリの本旨じゃないのでこのへんをご参照（404 Blog Not Found<a href="http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50639741.html">「著作権の二つの顔-人格権と財産権」</a>）。]]>
      <![CDATA[話ついでに、たとえば私が渡辺淳一さんの小説をコピーして、テキストデータでネット上で公開したり、製本して販売したりするとします。これは（１）ですよね。渡辺淳一さんや出版社の経済活動を妨げます。
今度は、私が渡辺淳一さんの小説を”自分の作品”だとして販売したとします。パクリ、盗用とかです。ただあんまり影響はありません。渡辺淳一さんの知名度・既知度は私とは比較になりません。盗作なので中身はまるまる同じでも、私の名前を冠して発表してしまうと売れないのでパクっても利益になりません。
仮に私の小説を、渡辺淳一さんがパクって発表したら逆です。それなりに売り上げが見込めるでしょう。ただこの場合も私にあまり損害はありません。まず私の小説は商用に流通してないので、そもそも利益は出てません。じゃあ、私が私の名前で小説を発表したとしても、まず売れないはずなので利益は出ません。渡辺淳一さんが私の作品をパクって発表するか、私が渡辺淳一さんの名前だけ借りて自作を発表するか、どちらかが利益を出すのに近道です。ただ後者のほうは著作権とは関係ないですね。

なんで渡辺淳一さんの名前を借りるかと言うと、渡辺淳一さんのほうが有名でブランドイメージが確立してるので、消費者に信頼があるからです。まぎらわしい商標のたぐいです。
（参照：痛いニュース(ﾉ∀`)：<a href="http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/898083.htm">スターバックス「商標パクったろ」→韓国裁判所「韓国じゃスタバなんて有名じゃないから却下」</a>）l

著作権の議論を見てると、だいたい「自分の作品だと認めろ」と言う感情的な比重が大きそうなので、有名作家の名前を借りて自作を発表するケースはそもそも埒外です。売れなくてもいいから自分の名前で世に出したいと言うエゴの部分でしょうか。

べにぢょのらぶこーる<a href="http://d.hatena.ne.jp/lovecall/20060910/p1">「はてなブックマーカーがドラえもんで良かった。」</a>
<blockquote><p>人間には多かれ少なかれ承認欲求ってのがあって、それは自分の作品さえ認められればそれでいいというものではないと思うのです。
”私の書いた作品が評価されたことによって私自身が認められたのが嬉しい”んじゃないのかな？</p></blockquote>
で、この稿は著作権の話じゃないので、唐突ですが話をもどします。
ブランドバッグのコピーの場合、コピー製品は「本物」より品質が劣ります。もし本物と同等の品質だったとしても、「ブランドを持つこと」がステータスなんですから、ニセモノを持っている時点でアウト（価値がない）です。
工業製品の場合、アジア各国でソニーやホンダの類似品が出回ってますが、こちらは「使用に耐えさすればいい」ので、ニセブランドでも消費者は許容します。
ＣＤやコンピュータソフトとなるとデジタルデータなので、「海賊版」といってもホンモノと寸分変らないわけです。有史以来、原本と複本には物質的に違いがあって、版画だろうとメーヘレンの贋作だろうとフィルムのデュープだろうと、オリジナルとコピーの関係でした。
デジタル以前は、どんなによくできたコピーでも、オリジナル≒コピー　であって　オリジナル=コピー　ではなかった。デジタルが「オリジナル=コピー」と等価関係を発生させたのですが、等価になった段階で、正確にはオリジナル対コピーという関係は消失して、両方ともオリジナル、あるいはコピーだとも言えるようになりました。もうオリジナルという概念そのものが成立しにくいんですね。

以前、私のご近所に職業彫刻家のかたが住んでいました。私はそのころ Adobe フォトショップやイラストレーターで制作物を作ることが多くなっていて、写真や画なども次第にデジタルに移行していました。（参照：<a href="http://poets.blog12.fc2.com/blog-entry-199.html">「ものより重いで」</a>）彫刻家の彼女はデジタルでの制作物をとても嫌っていて（彼女はデザイン系のアプリはだいたい使いこなし、自身のウェブサイトも更新してましたが）、デジタルは作品とは呼べない、ウェブ上で発表しているものは情報（告知）であって作品じゃない、と主張していました。「オンリーワン」と言うオリジナルの概念が成立しないからです。

さて、だいぶ大回りしましたが本題です。
写真のフィルムは、複製（何枚でもプリント）するのに優れているメディアでした。しかし複製能力という点では、デジタルカメラのそれにまったく劣ります。しかしデジタルにない「オリジナル」の概念を残しています。何枚プリントしようが、デュープを撮ろうが、オリジナルのフィルムは間違いなくひとつです。
ただ複製が容易・簡便なだけに、「オリジナル性」の部分でポラロイドよりは一歩劣ります。ポラロイドがいまだに根強く小ブームが起きるのは、撮ったその場で画が見られること（その能力ならデジカメの方が高い）にまして、現像されたポラロイドはまぎれもなく「オンリーワン」だからではないでしょうか。フィルムのように大量に複製をプリントすることが簡単にできません。
フィルムはそれ自体がオリジナルですが、一般的にプリントした形にしてようやく認識されます。リバーサルフィルムをライトビュワーに載せて観賞するということはほとんどないでしょうし、ましてネガフィルムだと観賞してもあまりおもしろくありません（何が写っているのかよくわからないし）。フィルムはプリントという複製化をしないと見ることができないフォーマットだったのです。

オンリーワンのオリジナル性ではポラロイドに劣り、複製化能力ではデジタルに劣るフィルムが生き残るには、画質がどうこうというよりも、かろうじて備えているその両面性をアイデンティティにしていくしかないかもと思いました。

[参照]Harukiya Archives<a href="http://sug.blog2.fc2.com/blog-entry-680.html">「いきのこる」</a>]]>
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   <title>ボタンの発明</title>
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   <published>2007-01-16T12:57:10Z</published>
   <updated>2007-11-03T03:37:38Z</updated>
   
   <summary>ここ最近、服を買ってなくて、いいかげんくたびれたのが多くなっていました。出先で衝動的に、細身のカーゴパンツを一本購入したんです（バーゲンの季節ですから、半額の投げ売りですわ）。 店頭にはだいたい五、六点ずつ同じ商品が陳列してありますが、そのカーゴパンツ、同じ商品で微妙に彩度に濃淡がありました。と言っても、一回洗ってしまえば区別付かなくなるかもしれないくらい、そんな僅かの差です。並べて見てやっと判るくらいなんですが、店員さんには同じ色にしか見えない、と言うのです。 ま、色はどうでもよかったのです。実は濃いのと淡いのではボタンの形が違いました。...</summary>
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      <![CDATA[ここ最近、服を買ってなくて、いいかげんくたびれたのが多くなっていました。出先で衝動的に、細身のカーゴパンツを一本購入したんです（バーゲンの季節ですから、半額の投げ売りですわ）。
店頭にはだいたい五、六点ずつ同じ商品が陳列してありますが、そのカーゴパンツ、同じ商品で微妙に彩度に濃淡がありました。と言っても、一回洗ってしまえば区別付かなくなるかもしれないくらい、そんな僅かの差です。並べて見てやっと判るくらいなんですが、店員さんには同じ色にしか見えない、と言うのです。
<img src="http://www.camal.info/images/pantsbuttun.jpg" />ま、色はどうでもよかったのです。実は濃いのと淡いのではボタンの形が違いました。]]>
      ボタンと言っても飾りのじゃなくて、普通にジッパーの上に付いてる小さいやつです。ひとつはお皿型でヘリがちょっと高くなっているボタンで、もうひとつはフチはなくコンタクトレンズみたいに中央にいくほど高くなっている、緩い曲面でした。
そんな細かいところにこだわっているのはみっともないと恥じらいはあったのですが、店員さんに言ってみたところ、商品番号を調べてくれました。どちらもまったく同じ商品でした。
コートのように意匠で付いているボタンではないし、店員さんも「どちらにしても上着のすそやベルトで見えなくなりますから」とおっしゃってました。
たぶん製造時期やラインの違いで、ボタンがちょっと変更されたのでしょう。でも私はどうしてもコンタクトレンズ型のは気に入らなかったので変えてもらいました（店員さんがサイズを出してきてくれたのがそっちだったので）。

衣服の留め具には、ジッパーとかホックとかテープ（あのバリバリとはがすやつ）とかいろいろあれど、私はボタンがとっても好きなんです。一方に切込みを入れて（ボタンホール）、そこにそれより大きなもの（ボタン）をくぐらせて引っかけると言うシンプルな構造が、どうしようもなくステキです。
友人は「それなら、ボタンよりもっとすごいのは帯だよ」と言ってましたが、衣類の留め具でも、「帯」はちょっと位置づけが違う気がするんですよね。
服は脱ぎ着するものだから、しっかり固定できるものでありながら、着脱は容易でなきゃならない（帯はその点で着脱が難しい）。まだ自分でボタンの服が脱ぎ着できなかった小さな頃、親に教わってできるようになった時はかなり得意になったのを覚えています。

「車輪の発明」と言えば、コロンブスのタマゴ的にごく単純なだけど、人類の生活を大きく変えた史上もっとも画期的・文明的な発見、と言う意味合いがあります。私はそれを「ボタンの発明」と言い換えてもいいくらい、ボタンを考案したことはすごいと感じます。
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   <title>勝って兜を投げ捨てよ</title>
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   <published>2007-01-07T05:03:52Z</published>
   <updated>2007-09-07T15:09:02Z</updated>
   
   <summary>「勝って兜の緒を締めよ」という言葉があるが、どんな教訓にも二面性・功罪はある。”今回は成功したからって、次からもまた上手く行くと安易に思うな”と考えるのは気を引き締めるために大切だけど、ネガティブ・シンキングな傾向の性格の場合、人によって却って逆効果になるんじゃないか。 「次もまた成功すると安易に考えるな」は気持ちを萎縮させてしまい、成功体験が積み重なっていきにくい。「今回上手くいったから、次回はもっとよくなるよ」と調子づくことによって、正のスパイラル、勝ちの連鎖は生まれると思う。 「石橋を叩いて渡る」も、慎重のあまり「石橋は三度叩いてもまだ渡るな、四度目で壊れるかもしれないから」になってしま...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.camal.info/blog/">
      「勝って兜の緒を締めよ」という言葉があるが、どんな教訓にも二面性・功罪はある。”今回は成功したからって、次からもまた上手く行くと安易に思うな”と考えるのは気を引き締めるために大切だけど、ネガティブ・シンキングな傾向の性格の場合、人によって却って逆効果になるんじゃないか。

「次もまた成功すると安易に考えるな」は気持ちを萎縮させてしまい、成功体験が積み重なっていきにくい。「今回上手くいったから、次回はもっとよくなるよ」と調子づくことによって、正のスパイラル、勝ちの連鎖は生まれると思う。
「石橋を叩いて渡る」も、慎重のあまり「石橋は三度叩いてもまだ渡るな、四度目で壊れるかもしれないから」になってしまう。前の橋も渡れたんだから、今度の橋もきっと崩れないさ、とどんどん渡って行けばいい。橋の強度を確認すること自体が目的化しては本末転倒。渡っている最中に崩れ落ちるかもしれないけど、川に落ちて流されてどこかにたどり着くかもしれない。橋をずっと叩き続けてるよりはずっとましだ。

私のような、そういう性格の人は《勝って兜を投げ捨てよ》でいい。
最初は兜で重装備して慎重に、おっかなびっくりやってたけど、自信がついてきたなら、もう兜に頼る必要はない。そんなものはさっさと投げ捨ててしまおう。次は兜なしでやれるようになったなら、それは進歩・成長なんだから。《勝って兜を投げ捨てよ》とはそういうこと。
      
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   <title>月曜に始まり、月曜に終わる</title>
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   <published>2007-01-01T23:36:27Z</published>
   <updated>2007-05-19T15:34:51Z</updated>
   
   <summary>2007年１月１日、本年は月曜日からのスタートです。 ふだん、あまりＴＶは見ないのですが、ここ数年は新年の「朝まで生テレビ」を楽しみにしています。これ１月１日ってのがちょっと曲者で、年をまたいだ直後なので、パネリストの方たちが「首相が来年の×月に…あ、もう今年ですね」、「この法案は今年の…いや去年か」と発言が混乱します。 まあ、「年」は切り替わりが明確なのでいいんですが、「週」はどこで切り替わるんでしょうか？ ...</summary>
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      <![CDATA[2007年１月１日、本年は月曜日からのスタートです。
ふだん、あまりＴＶは見ないのですが、ここ数年は新年の「朝まで生テレビ」を楽しみにしています。これ１月１日ってのがちょっと曲者で、年をまたいだ直後なので、パネリストの方たちが「首相が来年の×月に…あ、もう今年ですね」、「この法案は今年の…いや去年か」と発言が混乱します。
まあ、「年」は切り替わりが明確なのでいいんですが、「週」はどこで切り替わるんでしょうか？
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      <![CDATA[たとえば月曜日に会議で「今週中に〜」と言えば、それはその金曜日か土曜日くらいまでを指しているのだと思います。じゃあ日曜日に「今週は忙しくて…」と言われたら？　その前日の土曜日までが仕事が立て込んでたということなのか、あるいは翌日の月曜から始まる週が忙しいと言う意味なのか？
そういえばカレンダーの多くは「日曜日」から始まってます（グリッドの一番左側）。一週間と言うのは月曜で始まり、日曜で終わる七日間ではなく、日曜から数え始めるんでしょうか。
なんかの LifeHack で１週間を金曜だか木曜で区切る、というのがありました。休日で終り、ととらえるサイクルよりも、週の真ん中に一休みが入ると感じた方が動きやすいのかも知れませんが。

以前、米国に滞在してた時に聞いた話で、正確かどうか定かでないんですが、米国では水曜日で週が変るんだみたいなことを聞きました。「this week」と「next week」と言う単語の使い方で聞いたのですが、生活上で実際にそう使っているのかわかりません。

見てみると今年2007年12月31日は月曜日なんですね。月曜に始まり、月曜で終わる年になりそうです（”なりそう”じゃなく、なります…）。

[関連]
市民メディア・インターネット新聞ＪＡＮＪＡＮ<a href="http://www.janjan.jp/world/0606/0606115866/1.php">『アラブ首長国連邦、国際化に合わせ休日変更』</a>
<blockquote><p>アラブ首長国連邦（UAE）は、連邦政府およびその機関、地方政府、公立/私立学校の休日を現在の木曜・金曜から金曜・土曜に変更する旨発表した。</p></blockquote>
404 Blog Not Found<a href="http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50728242.html">『全世界一斉に年が明けるという奇跡』</a>]]>
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   <title>カレーライス・エフェクト</title>
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   <published>2006-12-31T13:14:04Z</published>
   <updated>2007-08-06T16:09:00Z</updated>
   
   <summary>あまり利用することはないのですが、先日、某牛丼チェーンで食事をした時のことです。私の隣に座った若い男性がカレーを頼んだんですね。それで改めて痛感したんですが、牛丼なんかに較べてカレーの匂いってずっと強いのです。私は牛丼を食べていたんだけど、カレーの匂いが混ざり合ってなんとも複雑な味わいでした。 飲食の席で煙草の煙・ニオイを嫌がる人が増えたので、この十年、飲食店では分煙化が進んでます。もちろん、カレーの匂いは煙草と違って健康に害はないけど、（別の）料理の味を侵害するものだなと感じた。分煙席ならぬ分カレーして席を別にしてくれまいか、なんて。 それを言い出すと、複数の種類の料理を出す店はキリがないよ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.camal.info/blog/">
      <![CDATA[あまり利用することはないのですが、先日、某牛丼チェーンで食事をした時のことです。私の隣に座った若い男性がカレーを頼んだんですね。それで改めて痛感したんですが、牛丼なんかに較べてカレーの匂いってずっと強いのです。私は牛丼を食べていたんだけど、カレーの匂いが混ざり合ってなんとも複雑な味わいでした。
飲食の席で煙草の煙・ニオイを嫌がる人が増えたので、この十年、飲食店では分煙化が進んでます。もちろん、カレーの匂いは煙草と違って健康に害はないけど、（別の）料理の味を侵害するものだなと感じた。分煙席ならぬ分カレーして席を別にしてくれまいか、なんて。

それを言い出すと、複数の種類の料理を出す店はキリがないよね。他の料理の匂いも含めて、完全に他からの影響を排除するってのはムリな話で、店内の様々な食材の匂いが混じり合い、反響し合ってそれでひとつの料理なのかも。いろんな料理の匂いが混じり合って、たとえば中華料理店ならではの匂い、お好み焼き屋、焼鳥屋 …などなど独特の匂いが醸成されて、またそれが店の雰囲気になっているとも言える。

それでも「侵略的」と言う点では、カレーの匂いは特に強烈。人呼んでバタフタイ・エフェクトならぬ curry flavor effect。店の中で客の一人が食べているカレーの匂いが、周りの別の料理の味を侵食してゆく…。大袈裟だけどカレーの匂いってそれくらい強烈かも。

[なんとなく関連]
あんたジャージでどこ行くの<a href="http://metalsty.seesaa.net/article/30933037.html">『不快な音』</a>
大須は萌えているか？<a href="http://blog.goo.ne.jp/impreza98/e/c499bf4be24038dbdf5c52d7737cfcc0">『言葉は要らないのか、の追記 』</a>]]>
      
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   <title>参加型広告？</title>
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   <published>2006-12-23T12:55:00Z</published>
   <updated>2007-09-07T15:08:27Z</updated>
   
   <summary> 添付画像を見てください。浅田真央ちゃんです。…そっちじゃなくって「Nikon」と「Life CARD」の広告が写っていますね。気づきました？　それとも真央ちゃんにしか目が向かなかったでしょうか？...</summary>
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      <![CDATA[<img src="http://www.camal.info/images/ad_ice.gif" />
<p>添付画像を見てください。浅田真央ちゃんです。…そっちじゃなくって「Nikon」と「Life CARD」の広告が写っていますね。気づきました？　それとも真央ちゃんにしか目が向かなかったでしょうか？</p>]]>
      <![CDATA[<p>私はフィギュアスケートをあまり見た事がないせいか、滑っているスケーターよりも背景の看板のほうが目についてしまい、うるさくてしかたがなかったです。他の人にそれを聞いてみたら、それほど広告は気にならないそうなので、うまいこと脳内消去しているんでしょう。<br />
考えてみれば野球でもサッカーでも背景には広告看板があるわけで、スケートが個人技なのでいくぶん背景に目が行くだけかもしれません。<br />
でも、脳内消去にしろ目立たないにしろ、認識されなきゃ広告効果がないじゃないですか？
そういえばTVのCFもおもしろいとか、好きな俳優・アイドルが出てるとかが印象に残っても、何の商品のCMだか思い出せないものもあります。</p>

<p>「Nikon」や「Life CARD」は企業ブランド名です。直接の商品宣伝とは違って、スポーツ振興や文化事業に出資・貢献していることを示すＰＲ（public relation）でしょうか。選手のユニフォームの袖口や胸元に見られるロゴもあります。これらは広告と言っても、商品の売り上げ、利益にダイレクトに結びつかないものでしょう。「広告」が文字通り「広範囲に告知する」であるとすれば、これらは商品ブランド名の周知度、認知度を上げ、浸透させる役割は十分果たしていると思います。</p>

<p>商品の場合は、その分野・性質よって、宣伝で繰り返しすり込まれているうちについ買ってしまうものと、スバラシイ商品だなといくら感心してもまず買わないものがあります。男性用女性用が分けられているもの（化粧品とか）をはじめ、年齢や職業など、自分にまったく該当しないものはまず買おうとはしませんよね。<br />
その点で、「広告」は告知範囲が広ければ広いほど効果があるわけではなく、従来のマーケティング手法や最近のリスティングに見られるように、対象範囲を絞った方が効果的ということです。</p>

<p>でもリスティングやアドセンスで、単語（キーワード）で関連性の高そうなものを結びつけるにしろ、あるいはアマゾンのように各商品に対応した購入傾向（”この商品を購入した人は、他にこんな商品を買っています”）に基ずく提案にしろ、やっぱり「広告」はWEB上でも一方的に発信される形式に留まっている気がします。</p>

<p>POLAR BEAR BLOG「<a href="http://akihitok.typepad.jp/blog/2006/12/captcha_b3d8.html">Captcha で利益を生むには？」</a></p>
<blockquote><p>Captcha に表示されるのは企業のロゴ。認証を受けるユーザーは、表示されたロゴの企業名を入力する。</p></blockquote>

<p>これは認証用に入力する文字を企業名や商品名にしてしまうというアイデア。<br />
これなら一方的に発信される形式の従来の広告とは、少しだけ違ってきますね。多少強制的ではあるけど、一方通行型のように「脳内消去」されないで済みます。TVや雑誌などのメディアに較べ、WEBは相方向性が強いのですから、広告もこういったアクション-リアクションのような、「参加型広告」がもっと出てきていいかもしれません。と言ってもミニゲームに組み込まれてるとかも煩わしいですから、せいぜい１、２クリックで済む程度のもので十分と思いますが。</p>

<p>そう考えてみれば、「○○○に当てはまる商品名を書いてハガキで応募！」という従来あった広告クイズも、そのへんを企図したものだったんだな、と今さら気づきました。「○○○」がカンタンすぎて、どこがクイズなんだっ!?　とか思ってましたよ。</p>]]>
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   <title>言葉の印象にひきずられる</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.camal.info/blog/2006/12/post_4.html" />
   <id>tag:www.camal.info,2006:/blog//1.6</id>
   
   <published>2006-12-19T14:46:58Z</published>
   <updated>2006-12-19T15:25:36Z</updated>
   
   <summary>『国破れて戦闘機』というページの「翼烈伝 / 005」に気になる一文があった。 翼烈伝 / 005　キ84 ４式戦闘機 「疾風」 重戦闘機というとどうしても大きくて重い戦闘機と思ってしまう。 私は兵器のことはまったくわからない。クルマの車種すら興味がないくらい。でも「重戦闘機」は「重い戦闘機」じゃないの？...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.camal.info/blog/">
      <![CDATA[<p><a href="http://www.skynet-1.com/kuni/kuni00.html">『国破れて戦闘機』</a>というページの<a href="http://www.skynet-1.com/kuni/kuni005.html">「翼烈伝 / 005」</a>に気になる一文があった。</p>

<p>翼烈伝 / 005　キ84 ４式戦闘機 「疾風」</p>
<blockquote><p>重戦闘機というとどうしても大きくて重い戦闘機と思ってしまう。</p></blockquote>
<p>私は兵器のことはまったくわからない。クルマの車種すら興味がないくらい。でも「重戦闘機」は「重い戦闘機」じゃないの？</p>]]>
      <![CDATA[<p>翼烈伝 / 005　キ84 ４式戦闘機 「疾風」</p>
<blockquote><p>局地戦闘機もそうだが、重戦闘機とか軽戦闘機とかの分類に拘ったのは日本だけの特異な現象ではないかと思っている。言葉としてあっても世界は拘っていない。</p></blockquote>
<p>この”軽重”は英語だとどう表現されているのか気になったのだけど、ウィキペディアには見当たらなかった。</p>

<p>ウィキペディア：軍用機の設計思想<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E7%94%A8%E6%A9%9F%E3%81%AE%E8%A8%AD%E8%A8%88%E6%80%9D%E6%83%B3#.E9.87.8D.E6.88.A6.E9.97.98.E6.A9.9F.E3.81.A8.E8.BB.BD.E6.88.A6.E9.97.98.E6.A9.9F">「重戦闘機と軽戦闘機」</a></p>
<blockquote><p>重戦闘機と軽戦闘機（じゅうせんとうきとけいせんとうき）とは、第二次世界大戦期の戦闘機の設計思想のひとつ。（以下重戦と軽戦と記載）<br />
ある機体重量に対し翼面積が小さい機体を重戦と呼び、大きい物を軽戦と呼ぶ（この比率を翼面荷重という）。そのため基本的にエンジン出力が同じ場合、重戦は軽戦に対し垂直面での機動を得意とし、軽戦は水平面での機動を得意とする。また、速度も重戦の方が優速である。<br />
第二次世界大戦時には、各国の戦闘機は陸海軍とも重戦化へと進んでいく。<br />
重戦と軽戦の境界においては諸説あるが、第二次世界大戦前後の日本ではおおよそ130kg/㎡が境界と考えていた。</p></blockquote>
<p>つまり機体が大きいわけでも、重装備なわけでもない、らしい。基本は翼の面積比の大小のようだが、どこまでが軽・どこからが重、という基準があるのでもない。昨今で言うところの WEB1.0 と 2.0 の違いみたいなもんでしょうか。ただの”観念語”にすぎないと言うことになりますが、フツー「重戦闘機」と聞いたら重装備の大型の機体をイメージしません？<br />
降順昇順とか、静的動的とか、湿式乾式とか、正反対の意味で理解してたりすることはままある。言葉の印象にひきずられてしまうと理解を阻害し、他者とのコンセンサスも得られなくなってしまうので気をつけなきゃならないけど、「軽重」なんかみたいに印象を先入させてしまう表現もよくないと思った。</p>

<p>ついでに、この「翼烈伝 / 005」にもう一ヶ所、興味を引かれる分があったので引用しておく。</p>

<p>翼烈伝 / 005　キ84 ４式戦闘機 「疾風」</p>
<blockquote><p>日本は戦争を戦闘の総和と思っている。たぶん今でもそうだ。</p><p>個々の戦闘に勝てば総和の戦争は勝つ。そう思い戦技に熱中する。頼朝より義経が好きだし宮本武蔵が大好きだ。なぜ大名が武蔵を雇わなかったのかは知りたくもない。</p></blockquote>
<br />
<blockquote><p>大名誰もが武蔵を評価しなかったのは当然過ぎるほど当然なのである。日本にも戦技より戦略が優先した時代があったのだ。武蔵が強かったという事実より、誰も雇わなかったという事実に感銘を受ける。</p></blockquote>]]>
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   <title>だいじなことは、何度も言わない</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.camal.info/blog/2006/12/post_3.html" />
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   <published>2006-12-18T16:10:00Z</published>
   <updated>2007-05-25T15:11:32Z</updated>
   
   <summary>「ここのとこ１回しか言わないからな。耳の穴開いてよーく聞いとけよ、いいな」って、教員・教官が口にしそうなセリフがあります。 これとはまあ違うんですが、英文なんかは、同じ単語を単調に繰り返さないという慣習があったかと思います。たとえばブッシュ大統領について書かれた記事があるとすれば… 「ジョージ・ウォーカー・ブッシュは…」 「しかしこの時、アメリカ合衆国 第43代大統領は…」 「この超大国の最高政治指導者である彼にとって、この問題は…」 という感じの表現の言い換えは、英文を読んでいればたびたび目にします。つまり「ブッシュ大統領」がその article の主題であったとしても、再頻出の単語とは限ら...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.camal.info/blog/">
      「ここのとこ１回しか言わないからな。耳の穴開いてよーく聞いとけよ、いいな」って、教員・教官が口にしそうなセリフがあります。
これとはまあ違うんですが、英文なんかは、同じ単語を単調に繰り返さないという慣習があったかと思います。たとえばブッシュ大統領について書かれた記事があるとすれば…

「ジョージ・ウォーカー・ブッシュは…」
「しかしこの時、アメリカ合衆国 第43代大統領は…」
「この超大国の最高政治指導者である彼にとって、この問題は…」

という感じの表現の言い換えは、英文を読んでいればたびたび目にします。つまり「ブッシュ大統領」がその article の主題であったとしても、再頻出の単語とは限らないはず。

ところが、検索エンジンやリスティング広告などのアルゴリズムでは「そのウェブページ内で繰り返される単語をキーワードと見なす」と一般的に言われているようです。たしかに頻出単語はその文章の主題である可能性は高いでしょう。しかし、この英語の文章慣習を考慮するとはたしてそうなんだろうか、と思うわけです。重要な主題となる単語であっても、繰り返されるとは限らない…。google はじめ、これらの企業はアメリカにあるわけですから、こんなことは当然のようにわかってるでしょうけど。

でも自分のブログのリファラを見る限り、検索で訪れる閲覧者は、たしかに記事内の頻出単語で拾って来ている感じです。
私も文章を書く際には、表現・単語の繰り返しは避けるようにしているので、主要なキーワードに限って本文中で２、３回しか使ってなかったりします。だから検索リファラを見ると、結構あさってな単語でピックアップされてて（笑）、どうしたものかと。
だいじなことだからこそ、一度きりしか言わないこともあるんです。
      
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   <title>小強</title>
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   <published>2006-12-18T07:51:54Z</published>
   <updated>2007-08-06T16:09:18Z</updated>
   
   <summary>先日のsugさんの記事［参照］、俗語・隠語で思い出したんですが、ゴキブリのことを台湾では「小強（xiao-qiang：シァオチァン）」って呼んでましたね。（中国語では一般的に「蟑螂（zhang-lang）」） ところが台湾のゴキブリって全然小さくないんですよ。 ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.camal.info/blog/">
      <![CDATA[先日のsugさんの記事［<a href="http://sug.blog2.fc2.com/blog-entry-662.html">参照</a>］、俗語・隠語で思い出したんですが、ゴキブリのことを台湾では「小強（xiao-qiang：シァオチァン）」って呼んでましたね。（中国語では一般的に「蟑螂（zhang-lang）」）
ところが台湾のゴキブリって全然小さくないんですよ。
<img alt="what_design_is.gif" src="http://www.camal.info/images/gokiburi.jpg" align="left" />]]>
      <![CDATA[小さい種類もいますが、大きいのは誇張じゃなく日本の倍はあります。でも大きいのは体つきはがっちりしているし、動作は遅いし、私はあんまりキモチ悪いとは感じられませんでした。ちょっとクワガタかカブト虫みたいな感じでしたよ。もちろん他の方々は、ゴキブリはゴキブリだしキモチ悪いと言ってました。私はゴキブリの不気味さって、ぺたっと薄い身体を貼り付けて、とんでもない速さで動くところにあると思うんです。でもこの巨大ゴキブリは、表現するなら「車高が高い」ので、地面にべたっと這うんじゃなく身体が持ち上がってるんです。で、動作も遅いし、見た目はゴキブリとクワガタの中間でしょうか。

「小」は中国語ではよく愛称に付けるような字ですが、「小強」は「小さいのに強い」って意味があるようです。たしかにあんなに小さいのに、出てきたら誰でも跳び上がって逃げますよね。実際にはネズミや蚊に較べると、病原菌やウィルスを持っていることもほとんどなく、実害が少ないので、衛生害虫ではなく心理害虫になるようです。

YOMIURI ONLINE（読売新聞）：<a href="http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20061209sy41.htm">人生案内 「ゴキブリ嫌い　自殺考える」</a>

自殺を考えるまで追いつめられるってのもすごいですが、60匹程度は台北の町を歩いていれば１、２日で遭遇する量です、本当に。日本にいてあらためて気づいたのは「ああ、道をゴキブリがうろうろしてるのって日本じゃありえないんだ」と、それぐらい存在が日常に溶け込んでます。
ところで自殺を考えるのも問題ですが、はたしてその60匹のゴキブリが現実に「実在」しているのかが心配です。

＞まさかとは思いますが、この「ゴキブリ」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。
[参照]　Dr林のこころと脳の相談室 精神科Q&A - <a href="http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/psyqa1087.html">【1087】家の中にストーカーがいます</a>]]>
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   <title>デザインについてのメモ</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.camal.info/blog/2006/12/post_1.html" />
   <id>tag:www.camal.info,2006://1.2</id>
   
   <published>2006-12-06T18:24:38Z</published>
   <updated>2007-05-19T15:35:09Z</updated>
   
   <summary>デザインとは何か、を考えるメモ。 こんな単純な四角い額縁のような枠をモデルに考えてみる。どうやって作るのがもっとも効率的だろうか。何通りの組み方が考えられるだろう。あるいはどんな目的かによって優先すべきことは違ってくる…...</summary>
   <author>
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         <category term="design" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.camal.info/blog/">
      <![CDATA[デザインとは何か、を考えるメモ。
<img alt="what_design_is.gif" src="http://www.camal.info/images/what_design_is01.gif" />
こんな単純な四角い額縁のような枠をモデルに考えてみる。どうやって作るのがもっとも効率的だろうか。何通りの組み方が考えられるだろう。あるいはどんな目的かによって優先すべきことは違ってくる…]]>
      <![CDATA[[A]のように、継ぎ目なく成形あるいは型抜きするのがシンプルだが、多くの製品は通常、部材を組み合せ接合する。
継ぎ目があることがデザイン的、機能的に許されない場合であれば、[A]のモデルが採られるが、おそらく効率上の点から大概は構成パーツに分解される。（部材をばらして運搬できるとか、不良部があればそこだけ交換が可能）
<img alt="what_design_is.gif" src="http://www.camal.info/images/what_design_is.gif" />
[B]はシンメトリックで外観も美しく、斜めの接合部は構造的にも強度をえることができそうだ。だが接合部を斜めに加工する技術、接合する技術が難しいためコスト高であれば、[C]や[D]のような構造にしたほうがいくぶん単純である。それに伴い、ねじ・金具・接着剤などによる接合方法も変るが、必要な強度が得られるかが重要になる。
もうひとつは[B]は４つのパーツがすべて同サイズなので交換可能なのに対し、[C]ならパーツは２種類に増えてしまう。
[E]であれば、４つの部材は１種類で統一でき、また外観も[D]のような不規則な組み方に較べ美しい。だが[B]と較べると、側面からの力に弱そうな気もする。接合・補強の入れ方次第だが、平行四辺形に崩れやすいだろう。
[F]は外観としては際立って特徴的だが、パーツの形が複雑（直線ではなくＬ型）のためコストは上がるかもしれない。また接合・補強も困難だし、構造的には非常に弱いだろう。

以上の例では、「デザイン」によって決定される「要素」と考えられるのは３つある。
１：コスト（技術的・費用的・時間的）
２：必要な性能（この場合は強度。ものによっては軽さだったり、使い易さや安全性だったり）
３：外観（視覚）上の美しさ]]>
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   <title>目は口ほどにものを言うのか？</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.camal.info/blog/2006/12/post.html" />
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   <published>2006-12-05T15:49:54Z</published>
   <updated>2007-05-08T15:28:34Z</updated>
   
   <summary>たとえば、こんな女の子の横顔を見てどう思うだろう。かわいい？　美人？（*このエントリの人物画像はただの一例です） 一説に因ると、人が外見の美醜を判断するとき、首から上が80%の比重を占めるらしい。 自慢じゃないが私はひどい「顔オンチ」らしい。美醜基準がどうも人とズレているようで、俳優とか、街中ですれ違った人とかを、「あの人カッコいいね！」、「かわいくない？」などと言うと、友人からは「え、あれが？」みたいな反応が来る。 ...</summary>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.camal.info/blog/">
      <![CDATA[たとえば、こんな女の子の横顔を見てどう思うだろう。かわいい？　美人？（*このエントリの人物画像はただの一例です）

一説に因ると、人が外見の美醜を判断するとき、首から上が80%の比重を占めるらしい。
自慢じゃないが私はひどい「顔オンチ」らしい。美醜基準がどうも人とズレているようで、俳優とか、街中ですれ違った人とかを、「あの人カッコいいね！」、「かわいくない？」などと言うと、友人からは「え、あれが？」みたいな反応が来る。
<img align="left" src="http://www.camal.info/images/girls_profile.jpg" />
]]>
      重ねて自慢じゃないけど、たぶん私はそれほど顔は重視してない。却ってやっかいなんだが、審美基準という意味では、むしろ肌の色つやなんかを見てる。それに「体つき」だけど、単にプロポーションというよりは「姿勢」。ナイスバディとかより背すじが大事。それからプロポーションよりモーション、モーションよりエモーション…じゃなくって、身のこなしとか仕草とか。そして何よりも「声」かなと。
で、何がいいたいかと言うと、静止画である「写真」では描写できない要素が多い。

先日、友人夫婦と食事をしました。
「クラスメイトでかわいい子がいてね。いや、今思い返すと相当美人だった気がする」という話を私がしたところ、当然のように友人夫婦から「写真はないのか」と言われたわけです。

それで先日、夫婦それぞれのＰＣに、画像を添付してメールしましたよ。
実は正面向きのばっちりカメラ目線の画もあったのだけど、あえてそれは選ばなかったのです。それよりも横顔で彼女の美しさが表れている写真があったから。ただ前髪がちょうど眉と目だけを隠してしまっていたけど、顔全体は見えている。横顔なので、形のよい頬から顎の輪郭線や唇がはっきりと見て取れるし、耳、うなじ、首筋から肩へかけての曲線もとてもきれいでした。きめ細かな肌や艶やかな髪の質感もよく描画されてます。
つまり目と眉がよく見えていないだけで、十分に「美人だ」と判断できる要素は揃っているはず。

さて友人夫婦の反応は如何に？　友人ダンナのほうから返信が来ました。
「この写真じゃ美人かどうか、顔が見えないのでわかりません」
なぜだ！　後ろ姿じゃあるまいし、顔は見えないわけではありません。前髪は目元を隠しているだけで、顔のほとんどの部分は見て取れます。
これだから男は、と思いつつ、女性なら視点が違うだろうと、友人妻の返信を見てみました。
「かわいい…と言いたいところですが、顔がよくわかりません。
もう少しお顔がよく見える写真を見せてください」

被験者は２人（男女１名ずつ）だけだが、なんとなくわかった。
目なのか、そうか目なのか。髪がきれいとか、肌がきれいとか、顔の輪郭線とか首がきれいとかじゃなく、なによりも目が大事なんだな!?

んで、ちょっとキャラクターデザインについて考えていたわけだが、目眉鼻口耳など、顔の主要パーツのうち省略されて描かれる（もしくは描かれない）ことが多いのは、おそらく鼻だと思う。だが、そこで目を省略してみてはどうだろうか、美少女キャラで。目は省いてしまって、描かないんだけど、鼻と鼻の穴と唇と耳の穴だけは丹念に描き込んで、かつ美少女キャラを成立させてみたいと思うんだが、ひとつどうでしょう師匠（←誰？）。
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